1.はじめに
お盆時期にBS日テレで「松本清張作家活動40年記念スペシャル・ゼロの焦点」(火曜サスペンス劇場:1991年放送)をオンエアしていました。何度か映画化やドラマ化がされている『ゼロの焦点』の中でも私の好きな一本です。以前録画したデータをHDDに残していなかったため、今回はしっかりと保存用に録画しました。放映された時期、以前書いたブログのアクセス数が増えていました。そのブログについて私の"思い違い"な見解(特に火サス版のエンディングについての考察)も含まれていたため、今回原作を読み直して簡単に整理しました。また、これを書いている頃、古谷一行氏がお亡くなりになったことを知りました。金田一耕助役はもちろんのこと、火曜サスペンス劇場における松本清張作品では彼の主演作は秀作も多いので、別途書きたいと思います。
2.原作
映画やドラマは何度も観ていながら、原作に触れるのは初めてです。これまで読んだ気になっていたところが、私としては良くなかったのだと思います。■あらすじ(原作ベース)
板根禎子は26歳。広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚した。紅葉が盛りを迎えている信州から木曾を巡る新婚旅行を終えた10日後、憲一は、仕事の引継ぎをしてくると言って金沢へ旅立つ。しかし、予定を過ぎても帰京しない憲一。禎子のもとにもたらされたのは、憲一が北陸で行方不明になったという、勤務先からの知らせであった。急遽金沢へ向かう禎子。憲一の後任である本多の協力を得つつ、憲一の行方を追うが、その過程で彼女は、夫の隠された過去を知ることになる。WEBの書評やコメントを読むと原作の評価が思ったほど高くないのに気がつきます。犯人の動機の弱さ、主人公の足取り(警察の捜査には常に非協力)の不可解さなど。謎解きは主に主人公の推理と想像の世界で進み、犯人の自白が最後まで無いのが特徴とも言えます。故に映画やドラマは、謎解きをよりリアルにするための警察や関係者の捜査の部分を厚めにしながら、ラストの"断崖絶壁"シーンというクライマックスに持っていく流れを作り出したのだと考えました。前述の私の"思い違い"は、原作のラストは主人公と犯人が断崖絶壁で対峙するクライマックスだと思い込んでいたことでしたが、それは最初の劇場版(1961年)の独自の設定であり、これに対して原作のラストと火サス版のラストはほぼ同じ設定(主人公が断崖に着いたときには時すでに遅しで、犯人は沖に小舟で漕ぎ出しており自死を図る)でした。その抒情的な設定は、火サス版の脚本を手掛けた新藤兼人独自のアイデアかと思っていたのですが、実際は原作に近い設定であり、彼はむしろ原作のラストのようにはしたくなかったというのが本当のようです。
■図書館で借りたカッパノベルズ版

■現在は新潮社の文庫版が発売中
3.テレビドラマと映画
■劇場版2作と火曜サスペンス劇場版■登場人物の設定とキャスティング
登場人物の設定は3作ともほぼ原作に近いと思います。ただ2009年版だけ室田佐知子の弟なる人物が出てきます。また、キャスティングされた俳優の"格"や"個性"でその作品の出番の多少やテイストが決まるところもあり、ある意味でストーリー展開に影響を与えている部分も大きく、原作との違いも見られるポイントです。1991年火曜サスペンス劇場版(以下火サス版)では警察関係者に林隆三をキャスティングしているので、主人公と彼が一緒に動くシーンが多いのが特徴とも言えます。また、脚本の新藤兼人夫人の乙羽信子が林隆三の母親役で登場、主人公が彼の家で食事するシーンは原作にはないオマケ的な場面です。このあたりは、原作では警察の捜査には常に非協力だった主人公とは好対照です。逆に1961年松竹版(以下松竹版)や2009年東宝版(以下東宝版)では警察関係者のポジションは弱めで原作寄り。物語の前半で主人公をサポートして失踪した夫を探す本多良雄(夫の勤める会社の後任)は松竹版では役割は薄目でしかも原作と違って殺されないのが面白いところです。犯人である室田佐知子の夫、室田儀作は地元の名士で善人ですが、東宝版の鹿賀丈史が演じた役は脚色されていて成り上がりの曲者の設定、最後は妻の犯罪を被って自殺するという脚色しすぎのキャラクターになっています。
ストーリーに立ち返って読み解けば、主人公が見合い結婚した鵜原憲一が結婚前の金沢赴任時に作った情婦である田沼久子とうまく別れられなかったことが、連続殺人のきっかけとなるので彼はキーマンであるはずです。鵜原憲一は田沼久子と結婚する気など毛頭なく、わざわざ"曽根益三郎"と名を偽って内縁関係を続けていました。これまでも東京への異動のチャンスのたびに関係を解消しようとしてきましたが、別れることに難儀していたようです。そんな中、主人公との結婚が決まって「さあ、今度こそ!」と関係解消しようとして、事情を知る室田佐知子に殺害されます。鵜原憲一という男、ある意味"女の敵"のような禄でもないやつなのですが、火サス版の並木史朗が演じた役は印象が薄くて悪い奴には見えない。東宝版は西島秀俊を持ってきているので、こちらの方がキャラが立っている印象です。
もうひとつの見方としては「3人の女」という"女性"視点での構図です。主人公の鵜原禎子と犯人の室田佐知子、彼女の昔仲間の田沼久子が軸になっています。鵜原禎子は英語もできて自立したキャリアウーマンの素養のある女性。室田佐知子と田沼久子は、戦後の混乱期を駐留軍相手の街娼(パンパン)として生きた辛い過去を持っています。室田佐知子は、室田社長夫人となって地元で文化活動等を中心に「女性自立」の先駆けとなって活躍して幸せを掴み、"不幸系女"の田沼久子は鵜原憲一(曽根益三郎)との慎ましい生活の中で幸せを見出しています。鵜原禎子の登場により、室田佐知子と田沼久子、2人を街娼(パンパン)時代から知る鵜原憲一の各々のポジションに影響を与えたことで不幸な事件は起こります。見合い結婚で新婚旅行に行ったくらいしか夫婦生活をしていない主人公が妻としての感覚を覚えていく流れや、夫を殺されながらも心情的には室田佐知子に同情しているあたりは、原作者が戦後の混乱期を生きた女性の苦労や辛さ、女性の自立の難しさを描きたかった趣旨を体現しているものと思われます。映画のキーアートはどちらも女性3人。松竹版は原作では主人公ではない田沼久子役の有馬稲子がメインなのがユニークで役者のランクによるものでしょうか。東宝版はバランスを取ってほぼ1/3ずつになっています。
★松竹版と東宝版のキーアート
■火サス版振り返り

「松本清張作家活動40年記念スペシャル・ゼロの焦点」として制作された火サスの特番。何度観ても面白いのですが、原作を読んだ後での感想をいくつかピックアップ。
・エンディングは原作に近い演出です。この部分は、以前のブログの見解を訂正いたします。
・設定が初夏なのが原作と趣を異にしていますが、エンディングで室田佐知子が沖に小舟で出るシーンを実際に撮影するにはこの季節しかなかったのかもと思っています。
・鵜原憲一(曽根益三郎)と田沼久子の関係の描き方がやはり薄い。田沼久子が彼を心から愛していて、中々別れられない関係だったというのをもっとリアルに描いていたら深みが出て良かったと思います。
・主人公が街娼(パンパン)の恰好をして室田佐知子を訪ねて心理的に揺さぶろうとするシーンがありますが、このシーンが必要だったかどうかは意見が分かれるのではないかと思います。
・原作では主人公は警察関係者に対して捜査に非協力でしたが、本作では林隆三演ずる警部補との接点も多く、後半部分での謎解きは観ている側にはわかりやすかったと思います。
・抒情的なエンディングと竹内まりやの主題歌「告白」が見事にマッチしたのが本作と言えます。「Ah,失ったあとで 真実に気付くのは何故 それでもまた朝は来る 知らぬ顔で」がラストシーンに余韻を残します。
振り返ると歴代の映画&ドラマの中では、本作が出色の出来栄えだと思います。2009年の東宝版は展開やキャラ設定が破綻していて、中島みゆきの主題歌くらいしか頭に残らない作品でした。
次はどのような形で、この作品と出会えるのか楽しみにしています。
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コメント
コメント一覧 (7)
丁寧な考察ありがとうございます。主人公目線での展開は、ストーリーにスームースに入りやすくてとても良くできた作品だと思います。
ご指摘の通り、曽根益三郎の死亡の際におそらく主人公は夫であると確信したものの、そこから先を突っ込まず「妻」としての立場を半ば放棄していた部分は??というところがあったかと思います。
私が遅咲きでデビューした韓流ドラマの中にも、一度掴んだ地位を離さんがために悪事に手を染める女性というのが定番でありますが、こちらは娯楽とは言え、日本の作品は少なからず影響を与えているのかなと思いました。
私的には原作は面白かったです。主人公が想像の中で犯人を追うので、それに合わせてイマジネーションを膨らませて読むことができました。
松竹版は、橋本忍&山田洋次脚本というところがユニークです。「砂の器」を脚色して小説より映画をスタンダード版とした人たちですが、エンディングで与えた影響は後のサスペンスものの定番となったので、大きかったと言えるのでしょう。