ワールドカップ

大いなる茶番劇と言うべきか。
遅きに失した新国立競技場建設の白紙撤回は、"アベ"の安保法制強行採決のガス抜きとして使われた。
政権の支持率回復のカードとして使い、週末の3連休を挟んで世間の安保法制への矛先を他に向けるための大いなる政治の道具になった。今の政権は、何でもあり。だからタイミングは外さない。
結果として、ラグビーW杯での使用がなくなった。多くのメディアはこのことについては、あまり触れていない。それだけラグビーが日本においてはマイナーなポジションなのだろうか。というより軽視されすぎている。
大変残念である。
コスト削減ならおそらく現行案でも可能だったのではないだろうか。いわば仕組みの問題だからだ。
ゼネコンの仕事だから、TV局の番組制作に通じるものがある。
注文者から元請に発注し、さらに下位の下請けに重層的に仕事が流れる。流れるに従って、どんどんマージンが抜かれていく。1,000億円でできるものが、マージンを乗せていったら2,000億円超えていましたというパターン。でも自分の財布じゃないし、今回は税金だから、いくらでも青天井で盛ることができる。「どうせ2,000億円で批判がでているのだから、あと300億円上乗せしても大して変わらない。最後は建てなければいけないのだから、国民はいずれ納得する」という発想。だから膨れ上がった予算のうちの数百億円は、利権に絡んだ皆さんで仲良く分ける税金のパイみたいなものなのだろう。
ただ安保問題で潮目が変わって政権支持率が低下傾向にあり、再び潮目を変えるために今回の白紙撤回ということになったのだろう。
だから自分たちの取り分を多少減らして、あとはデザインし直して減らして…これで500億円で作り直すとかになるなら評価できるが、あくまでガス抜きだから、形式的なものになるのではないか。
結局、日本のラグビー自体が、森喜朗の私物と化している。彼が納得すれば、W杯に間に合わなくていいなんて…その程度のスポーツだったのでしょうか。
つまらない世の中にどんどんなってきている。